ナカメアルカスと洪水

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土曜夜の大雨では目黒川の水位がかなり上がったようです。各方面で皆様にご心配を頂きました。ありがとうございます。ただ若干、担当の個人的な想いになりますが、中目黒の歴史と関連して皆様に知っていただきたいことがあります。

実は目黒川には2つの「調整池」(または「調節池」)があります。中目黒からやや下流に舟入場という広場がありますが、そちらの下に「舟入場調節池」。更に下流にいって目黒線と交差するあたりに「荏原調節池」。これはどういう施設かというと、目黒川が溢れそうになった時に一時的に水を逃がす「地下の貯水池」なのです。二つの施設あわせて、25.5万立方メートルの容量がございます。

写真左下が「舟入場調節池」の模型です。広場の下はこのように、大きな空洞になっています。写真右下は「荏原調節池」の外観ですが、調節池には川沿いにこのような「あふれ口」があります(舟入場ならば共済病院前の橋からごらんになるとよく分かります)。目黒川が増水すると、氾濫が起こる前に、まずここから地下の調整池に水が流れ込みます。「洪水まであと2m~1m」まで一気に水位が上がりながら、そこから突然水位の上昇が止まるのは、その調整池に水が流れ込んでいるからなのです。

目黒川の長さは(どこからどこまでの区間か不明ですが)約8kmといいます。川幅は5mくらいでしょうか。255000m3/(8000m×5m)=6.375mという計算によれば、「目黒川はあと約6m分水位が上がっても大丈夫な施設を地下に隠し持っている」ということになりましょう。実は目黒川は、皆様が思っている以上に「土俵際の忍耐力」がございます。

中目黒の歴史は、目黒川の洪水との闘いの歴史でもあります。上側の写真2枚は「広報めぐろ、昭和56年8/5号」に掲載された56年7月22日の洪水の様子です。左は駅前の横断歩道のあたり。右はナカメアルカスの川を挟んで反対側の写真です。床上50cmくらいの浸水でしょうか。昭和の頃は年に1回~2回、こういった洪水が起こっていました。度重なる洪水のため建物が傷み、建て替えを余儀なくされた木造家屋もあったと聞いています。

このため昭和55年頃より、川の側では「川を掘り下げる」「堤防の整備」「2つの調整池の建設」などの対応が取られました。また街の側では「洪水に強い街作り」「防潮板・土嚢の設置と定期的な訓練」という対策が取られました。ナカメアルカスの再開発は、この「街の側での洪水対策」も大きな理由です。ナカメアルカスでは、電気室を2階以上に置く・地下の排水設備の整備・防潮板や土嚢の設置など、洪水対策が徹底的に盛り込まれた設計となっております。

防災に絶対はありませんから、慢心・安心して良いということにはなりません。ただ、現在の目黒川流域には、洪水と闘った先人たちの知恵(とお金)がつぎ込まれ、住民の安全を影で支える施設がいくつも用意されているということを、もっと皆様に知って頂けたら良いなと思い、今回の機会に紹介させていただきました。